第1900回例会 ~ 知られざる台湾の歴史と今。
本日のSAA ~ 池田 誠 SAA
池田 誠 SAA
開始1分前です。
携帯電話は電源をお切りになるか、マナーモードの設定をお願いいたします。
本日も、友情の握手は控えさせていただきたいと思います。
ゲスト紹介 ~ 加藤 肇 会長
・RI第2500地区第6分区ガバナー補佐 石原 英樹 様
・IM実行委員会 副委員長 田中 耕吾 様
・台湾からのゲスト 高橋 真理子様
・故 福岡正雄 様 ご息女 髙坂 敦子 様
会長挨拶 ~ 加藤 肇 会長
皆さま、改めましてこんにちは。どうぞお食事を続けながら、お耳だけお貸しいただければと思います。
昨日は明け方に一気に気温が下がり、道路状況も悪化したことで、市内や高速道路で衝突事故が多発しました。服装だけでなく、車の冬支度もしっかり整えなければいけない季節になってきたと感じています。
さて本日は、第2500地区第6分区ガバナー補佐の石原英樹様、IM実行委員会副委員長の田中耕吾様、そして台湾からお越しいただきました高橋真理子様。さらに、帯広東ロータリークラブ初代会長、福岡正雄元名誉会員のご息女、髙坂敦子様にもお越しいただきました。ようこそおいでくださいました。大変賑やかな例会となり、たいへん嬉しく思っております。
石原ガバナー補佐、田中副委員長には、このあと会務報告の後にご講話をお願いしております。また、高橋様、髙坂様には、本日のプログラムにご協力いただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
そして、8月21日にご逝去されました石川博機元会長のご家族より、十勝ロータリー奨学会へ遺贈の申し出をいただきました。石川元会長は長年さまざまな寄付をされ、また奨学会の評議員も務められていました。十勝の未来を担う子どもたちへの思いを、最後まで寄せてくださったことに、心より感謝申し上げます。
本日のプログラムが実現しましたのも、深澤委員長がつないでくださったご縁のおかげと伺っております。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
会務報告 ~ 木幡 裕之 幹事
① 帯広南RC、夜間例会開催のご案内
日 時 11月18日(火)午後6時30分
場 所 北海道ホテル
※尚、11月17日(月)の繰下げ例会と致します。
② 帯広RAC、11月第一例会「ピザ作り体験会」開催のご案内
日 時 11月21日(金)午後7時~9時
場 所 とかちプラザ4階調理室
※参加ご希望の方は、青少年奉仕・ローターアクト委員長まで
③・帯広南RC、11月24日(月)の例会は、振替休日のため休会と致します。
・帯広東RC、11月25日(火)の例会は、休会と致します。
・帯広北RC、11月28日(金)の例会は、休会と致します。
④ 帯広RAC、11月第二例会「カーリング体験例会」開催のご案内
日 時 11月25日(火)午後7時~9時
場 所 カールプレックスおびひろカーリングホール(清流東2丁目)
※参加ご希望の方は、青少年奉仕・ローターアクト委員長まで
⑤ 帯広西RC、夜間例会開催のご案内(年次総会)
日 時 11月27日(木)午後6時30分
場 所 北海道ホテル
⑥ 帯広東RC、年次総会開催のご案内
日 時 12月 2日(火)午後0時30分(例会時)
場 所 ホテル日航ノースランド帯広
⑦ 例会終了後、定例理事会を開催致します。
ガバナー補佐講話 ~ 石原 英樹 ガバナー補佐
皆さん、こんにちは。ガバナー補佐の石原でございます。今日は、ガバナー公式訪問として3回目になります。どうぞよろしくお願いいたします。
本日は、先日行われました地区大会のお礼と少しばかりのご報告、そして来年予定されているライラや地区行事のご案内をさせていただきます。
10月24・25日に釧路で地区大会が開かれました。東クラブさんからは13名ご登録いただき、本当にありがとうございました。大会は3日間で、初日は会長幹事会や幹事懇談会が行われ、またモンゴルとの姉妹クラブ提携も承認されました。夕方にはポリオ根絶のイベントも開かれ、たいへん美しい夕日を見ることができました。
2日目の式典では、フィリピン・台湾・モンゴルから総勢20名の国際来賓をお迎えし、会長代理による地区報告、地区の現状報告がありました。地区としては「会員2500名」を目指していますが、現在は2215名と、順調に増加しております。第6分区も17名増で、たいへん健闘しています。
午後はクラブ紹介、モンゴルとの姉妹文化締結式、2014年にも講演いただいたガルバドラフ・ジャンピンさんの講演、そして会員増強セミナーと続きました。その後、次々年度ガバナーとして帯広南の小田衣代さんの紹介があり、大会所感として「ロータリーをまっすぐ語る、熱意ある大会だった。」とお褒めの言葉をいただいて閉会となりました。
来年度の地区大会は、旭川ロータリークラブの山本倫生ガバナーのもと、10月9・10日に開催されます。
また、その前に6月13〜17日には台湾で世界大会があります。東クラブからも多くの皆さまに参加していただければと思います。地区としては200名の参加を目標にしておりますので、ぜひご検討ください。
さらに、3月28日には第6分区のIMも予定されています。このあと田中IM副実行委員長から詳しいご案内がありますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私からは以上です。ありがとうございました。
IM実行委員会 ~ 田中 耕吾 副実行委員長
皆さま、こんにちは。副委員長を務めます田中です。どうぞよろしくお願いいたします。
今回の行事は、帯広西、清水、そして上士幌の三クラブ合同で開催いたします。9月に実行委員会を立ち上げまして、現在、準備を進めているところです。
今年の基本テーマは「絆」、サブテーマは「受け継ぎ・育み・そして未来へ」。米山親善大使の方をお招きして、ご講演も予定しております。
今日は皆さまに、ぜひ今年も全員登録でご協力いただきたいというお願いで参りました。そして、ぜひ実際に会場へ足を運んでいただき、テーマである“絆”を一緒に感じていただければ嬉しく思います。
多くの皆さまのご参加を心よりお待ちしております。本日はお時間をいただき、ありがとうございました。
本日のプログラム ~ 社会奉仕委員会 深澤 佳世子 委員長
「知られざる台湾の歴史と今。」
深澤 佳世子 社会奉仕委員長
皆様、こんにちは。今日は社会奉仕委員会の担当なんですけれども、さて、社会奉仕に関わる何かどうしたらいいのかと思ってたら、もう究極たる社会奉仕をしてください。日本人の方、あの、八田さんっていう方の名前を故福岡正雄初代会長から聞いた方もたくさんいらっしゃると思いますけれども、きっとそのお方の名前もこれから出てくると思います。台湾のこと、面白おかしく、楽しく、お話ししてくれる方ですので、ぜひお楽しみください。で、国際大会もこのタイミングで来年6月からありますので、ぜひ台湾を知っていただきたいと思います。では、お願いします
高橋 真理子 様、高坂 敦子様 からのお話。
皆さま、こんにちは。高橋真理子です。今日はこうしてお集まりいただき、本当にありがとうございます。
私は台湾に住んで早40年近く。行ったり来たりしながら、台湾の人たちの温かさに毎日驚きながら暮らしています。…あ、年齢がバレますね(笑)。
さて、台湾と言えば、美味しい料理、賑やかな街並み、活気ある人々…ですが、私が心から尊敬しているのは、やはり旧日本統治時代に台湾の発展に尽力した日本人たちです。
たとえば、八田與一(はった よいち)さん。嘉南平野に巨大なダムを作り、干ばつで困っていた農地に水を届けました。40度を超える炎天下で、現場で労働者たちと一緒に汗を流したと聞くと、私はもう「私だったら3分でバテる…」と心の中で叫んでしまいます(笑)。でも八田さんは違った。現地の人々に寄り添い、命をかけて地域を発展させたのです。
そして、農業面では、北海道から来た技術者たちも大活躍しました。たとえば、磯永吉さんや末永仁さん。彼らは台湾でお米の品種改良を行い、今の台湾米の基礎を築きました。私たちが日本で食べているお米にとても近いのは、こうした努力のおかげなんです。台湾の稲作は、北海道と台湾が一本の線でつながるような歴史があって、個人的にはその点がとても面白くて、ついつい「地図を広げて旅行気分」になってしまいます(笑)。
インフラ面では、後藤新平さんや児玉源太郎さんなど、行政や医療、公共事業に尽力した方々もいました。後藤新平さんは衛生面や疫病対策に力を入れ、熱帯病やマラリアを抑えるために上下水道や病院整備に尽力しました。結果として、現代の台湾の医療・公衆衛生の基盤は、この時代の努力によって築かれたとも言えるんです。
さらに、交通インフラでは、縦貫鉄道や水力発電所の整備など、台湾の発展に欠かせないプロジェクトを多くの日本人が担いました。たとえば、南部の水路整備や灌漑施設、発電施設の建設は、現代の台湾の経済発展にも直結しています。これらの施設は、100年以上経った今もなお使われ続けており、技術と情熱のすごさを実感できます。
こうした歴史を知ると、台湾の人々がなぜ日本に親しみを持ち、親日家が多いのかがよくわかります。そして、私自身も台湾での生活を通して、現地の人たちの温かさや誠実さに触れながら、日々学ぶことばかりです。
さて、来年はロータリーの世界大会が台湾で開催されます。ここで、皆さまにもぜひ台湾の素晴らしさを体感してほしいです。現地で八田さんのダムを見たり、旧日本人技術者たちの遺産に触れたり、台湾料理に舌鼓を打ったり…もう、楽しみが盛りだくさんです。お腹いっぱいになっても、笑ってください(笑)。台湾はそれだけ愛情深い国です。
そして、この大会を通して、日本と台湾の歴史的絆を感じながら、新しい友情を築けるのも大きな魅力です。台湾で過ごす時間は、単なる旅行ではなく、歴史と文化の中でロータリーの精神を実感できる貴重な体験になるはずです。
皆さまもぜひ、来年の世界大会で台湾に足を運んで、歴史と人情、美味しい料理に触れてください。そして、八田さんや後藤新平さんたちが残したものの大きさを、肌で感じていただければと思います。
本日は、台湾での私の生活、旧日本統治時代の日本人の功績、そして来年のロータリー世界大会への期待をお話しさせていただきました。どうぞ皆さま、台湾で素晴らしい時間を過ごされますように。ご清聴、ありがとうございました。
集合写真の中に深澤委員長も映っています。
【台湾の教科書に載っている日本人】八田與一氏についての文章を追加します。
八田 與一 とは、
【台湾の教科書に載っている日本人】
🔴台湾の人たちが親日な一要因です。
200億円!! 東日本大震災の被災者を案じ、台湾の人たちが
送ってくれた義捐金の額だ。
9割は一般人からの寄付だった。
台湾では、地震発生直後から、テレビで緊急特番を放送。
多くの有名人や政治家、総統までもが日本の危機的状況を訴え、
支援を呼びかけ続けてくれた。
なぜ台湾の人たちは、そんな大金を日本のために送ってくれたのか? それは、日本をとても愛してくれているから…。
……1895年、日清戦争に勝利した日本は、台湾を治めることに
なった。
日本は、国内の食糧不足を補うため、台湾の農業強化を打ち出した。 しかし、台湾一大きな嘉南平野は、作物がほとんど取れない。
原因は水事情の悪さ。 乾季は日照りで飲み水さえないが、
雨季には洪水が絶えず起きるという有様。
そこに、日本から土木技師として派遣された男がいた。
八田與一。
彼はダムを建設するため、水源や地形の調査にやって来たのだ。
台湾総督府に上申する八田。
「ダムに最適な場所は、ここ、烏山頭(うさんとう)地区です。
大規模なダムが造れます」
が、台湾総督府は難色を示す。
「こんな大きなダムは不可能だ!もう少し規模を小さくしな
ければ」
食い下がる八田。
「それでは水量が少なく、平野全体に水が行き渡りません」
「しかし予算がない…」 「一時しのぎではダメです。
農民たち全体が豊かにならなければ、造る意味がありません!」
工事費用は莫大で、台湾総督府総予算の3分の1にもなる。
金額的にも規模的にもあまりにも大きすぎて、誰も本当に実現
するとは思わなかった。
しかし、小さいダムでは水が行き渡らず、住民の格差が生まれ
てしまう。
彼は自分の思いを曲げず、計画書を何度も練り直した。
3年後の1920年、粘り強い交渉の末、八田は、費用の半分を
農民たちも担うことを条件に、ダムの建設許可を勝ち取った。
ところが、地元住民は大反対。
「なぜ我々がお金を負担しなくてはいけないんですか!」
八田はダムの必要性を必死で説いた。
「ダムができれば必ず豊かになる。皆さんの子供や孫たちの
世代が、安心して暮らせるんです」
「僕たちは騙されないぞ!」
住民の無理解など、問題を抱えつつ、何年続くか分からない
ダム建設がスタートした。
日本人・台湾人合わせて約2000人が、険しい山奥での力仕事
に従事。
しかし、衛生状態も悪く、労働環境はまさに最悪だった。
そこで八田は、環境改善のため、上司に要請。
「家族と住める宿舎を作って下さい」
「何を言ってるんだ。我々が必要なのは労働力。女、子供は
必要ない」
「しかし、家族と離れ離れでいい仕事などできるわけありま
せん!」
八田の要請が受け入れられ、工夫(こうふ)が家族と一緒に
住めるよう、工事現場の近くに小さな町が作られた。
そこには、学校や病院などの公共施設や、映画館やテニスコート
などの娯楽場もあった。
集会所に集まってゲームをしたり、定期的にお祭りを開いたり、
工夫たちはここでの生活を心から楽しむことができた。
台湾の工夫たちとも家族のように接する八田。
上からではなく、同じ目線で仕事をする彼の姿勢に心を打たれ、
台湾の人たちも次第に心を開いていった。
地元の反対も弱まり、全てが上手く行くように思われた。
そんな時…… 1923年、関東大震災が発生。 日本は、台湾のダム
建設どころではなくなった。
八田は、台湾総督府からダムの建設予算の大幅カットを言い渡
される。
「台湾人半分のクビを切って、何とか工事を続けてもらえんか?」
この噂は台湾人工夫たちの間にも広まった。
「俺たち、そろそろクビらしいぞ」
「そうらしいな…。日本人が優遇されるのは仕方がない…」
ところが、何と八田が解雇したのは日本人ばかりだった。
台湾人工夫たちは驚き、なぜ自分たちを優遇して残したのか、
その理由を尋ねた。
すると八田はこう答えた。
「当然ですよ。将来このダムを使うのは君たちなんですから」
日本人は日本でも仕事ができる。 台湾人はこの地でずっと生き
ていく。 自分たちのダムは自分たちで造ってほしい。
それは八田の思いだった。
工夫たちは、八田を心から信頼するようになった。
そんなある日……
ダムの現場で爆発事故が発生。 死亡者50人以上、負傷者100人
以上の大事故だった。
八田は、取るものも取り敢えず急いで遺族の家に駆けつけた。
土下座し、遺族に詫びる八田。
「申し訳ございません!あなたのご主人を殺したのは私です!」
大切な人の命を奪ってしまった。 いくら謝っても謝りきれない……。
未亡人はしかし、八田にこう話しかけた。
「八田さん、頭を上げて下さい。主人は、ダムの仕事を誇りに
思っていました。八田さん、どうか立派なダムを造って下さい!」
亡くなった工夫たちは、自分と同じ思いを抱いていてくれた。
家族にも語ってくれていた。
八田は決意を述べた。
「必ず、必ずダムを完成させてみせます!」
多くの仲間を失いつつも、残された人々は懸命に工事を続けた。
そして1930年、10年の歳月を経て、ついに東洋一の大きさ
(当時)を誇る烏山頭ダムが完成。
不毛の地と言われた嘉南平野は、米・サトウキビなどが豊富に
獲れる、台湾一の穀倉地帯へと生まれ変わった。
台湾の人たちは、ダムを見渡す丘に 八田の銅像を建てた。
それは、考え事をする時の姿。
八田の物語は、台湾の教科書に載っていて、今でも彼の命日
には、毎年ここで慰霊祭が行われている。
今回、日本に送られた200億円の義捐金。 それは、70年の時を
経て、八田への思いが恩返しの形で届けられたのかもしれない……。
※『 思わず涙する感動秘話』
次回プログラム予定 ~ 年次総会 12月2日(火)

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